大学とELSI

何故ELSIは大学だけ?

ELSIについて語るとき、それがどんな文脈であっても、大学に関連して触れられることが殆どです。実際、ELSIという語でweb検索を実施すると、ヒットする事項の多くは大学や文部科学省系研究関連機関の取り組みです。私が客員教授を務める広島大学の共創科学基盤センターも、ELSIをキーワードにヒットする大学内の組織で(残念ながら設立されて間もないため、上位でヒットはしませんが)、そのホームページ上では、法的、社会的課題(ELSI)に対する取り組みの強化を謳っています。

ELSIに対する対応が「正しいことをする」ということであるならば、何故、大学廻りの組織の取り組みが検索結果の殆どを占めてしまうのでしょうか。大学関係組織以外では「正しいことをする」ことが求められないのでしょうか。例えば社会の中での活動主体として、大学よりも遥かに大きな影響力を持つ企業に関してはどうでしょうか。企業に対しては、「正しいことをする」ことが求められないのでしょうか。

コンプライアンスとCSR

そんなことがあろうはずがありません。企業活動において強く配慮が求められる概念として近年特に言及されるものに「コンプライアンス」であるとか、「企業の社会的責任(CSR: Corporate Social Responsibility)」があります。どちらも有名な概念であり、世にはこれらの解説が溢れています。これら解説の中では様々な定義、説明がなされており、このサイトで再度こうした説明を重ねて屋上屋を架すことはしません。

誤解を恐れずに私の理解を述べれば、ELSIもコンプライアンスも、そしてCSRも基本的には同じなのではないかと思っています。そう、ELSIと一緒で、「正しいことをする」ということです。

強いて違いをあげるならば、コンプライアンスであれば「法令をはじめとした社会的規範を遵守」と一般には解されていますから、法令に寄っているのかもしれません。ELSIでいうところの”L”、すなわち法的課題ですね。CSRであればそのカバーする範囲が広く、「説明責任」や「透明性」、「人権の尊重」といった事柄についても 明示的に言及されることが多い印象です。もちろん、倫理的、法的、社会的課題への対応が求められることは言うまでもありません。

大学では何故ELSI

大学においてもコンプライアンスは当然に求められます。また、大学の活動で人権の尊重がなされなくてもよいなんてことはありません。説明責任も当然に求められます。では何故、この「正しいことをする」ことを標榜する概念がコンプライアンスでもなければCSRでもなく、大学ではELSIとなったのでしょうか(念の為に付言すれば、大学においてコンプライアンスやCSRという概念の導入が否定されているわけではありません)。

理由の第一は、ヒトゲノム計画(Human Genome Project: HGP)の実施に際し、ヒトゲノムの解析を行うことの倫理的、法的、社会的な含意に関した検討の必要性が議論されたことに端を発してELSIという概念の導入なされた事によるのではないかと思います。研究という大学が行う主要な事業に関連して実施が求められる検討との位置付けですから、大学事業との親和性が生まれながらに高かったということです。

上記と並ぶ重要な背景として、文部科学省がその導入を強く推し進めたことも挙げることができます。実際、私が所属する広島大学の共創科学基盤センターは、そうした文部科学省の政策の存在を前提にELSIに関する取り組みを強化するとして文部科学省に要求書を提出し、必要な予算が講じられたことから設置に至っています。他大学における類似組織の設置の経緯もほぼ同様と推察されます。

もちろん、こうした諸事情のさらに背景には、大学に「正しいことをする」ことを社会が求めたからでしょう。

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