社会による技術のガバナンスを考える
私たちの暮らしは、数え切れないほどの技術によって支えられています。
もっとも、技術の利用は現代に始まったことではありません。人類は誕生以来、火の獲得をはじめとする様々な技術を手にし、それを生きるための手段としてきました。
その営みは過去から現在へと連綿と続き、これからも続いていくでしょう。逆に、技術の利用をしなければ、豊かさはおろか現在の人口の維持をすることさえ困難になるでしょう。
歴史を振り返ると、獲得される技術は時代ごとに大きな変遷を遂げてきました。現代においては、工学を中心とした技術が社会の基盤を形づくっているといっても過言ではありません。
こうした現状の中で私たちは、どのように技術と向き合っていけばいいのでしょうか。
社会の中で共有される「ルール」が必要
高度に技術へ依存する社会で、私たちはどのように技術と向き合っていけばよいのでしょうか。

この問いは今日的で、しかも避けることのできない課題です。技術の利用が広がれば、そこには必ず摩擦(フリクション)が生じます。その摩擦を未然に防ぎ、あるいは発生後に解決するためには、社会の中で共有される「ルール」が必要です。
社会を形づくる代表的なルールは法律です。法律は、人々がどのように関わり合うかを定める仕組みです。
法律は最も堅固、即応が困難な場合も
技術依存が強まる現代社会では、人と人との関係の中に技術が深く介在しています。しかもその影響力は年々大きくなっています。この傾向は今後さらに強まることが予想されます。
したがって、社会における技術利用を円滑にするには、技術の進展や利用方法の変化に応じて、ルールも変化させなければなりません。法律の制定や運用のあり方についても同様です。
法律は最も堅固なルールです。堅固なだけにその制定や、いったん策定した後の改定を、技術の変化に対応して機動的に実施することが困難な場合も存在します。

「社会による技術のガバナンス」
法律はもちろん必要であり、重要です。
ただ、時々刻々新技術が開発され、それらが社会に導入される現在においては、法律だけにとどまらない輻輳的なルールの存在が、社会の中で技術を利用する上で求められるのではないか、そう思っています。
私流の言葉では、「社会による技術のガバナンス」の必要性です。

社会の共有なくして技術利用は進まない
本サイトでは、上記の問題意識に基づいて「社会による技術のガバナンス」のあり方を考える上で参考になることを記して(書き散らかして)います。
自身の備忘録的な位置づけでもあり、十分に練れていない内容も多いと思いますが、その点はご容赦ください。
技術を社会でどう利用していくべきか。この問いに対する答えを社会が共有しない限り、結局のところ技術の利用は進みません。
こんな茫漠とした問いに関心を持つ方の、少しでも参考になれば幸いです。
